抱き寄せられて手で口を塞がれた

抱き寄せられて手で口を塞がれた。振り向くと桂が少しやつれた顔で微笑んでいた。

 

 

「良かった会えた。」

 

 

そう言って自分を見下ろしてくる柔和な顔を見て三津は泣きそうになった。

煤だらけの顔に着ている物も酷く汚れている。easycorp

 

 

「大丈夫ですか?どこか怪我は……。」

 

 

愛しい顔に手を伸ばして優しく指で煤を拭った。桂は三津に触れられる喜びに目尻を下げた。

 

 

「怪我はないよ。これはわざとこんな格好をしてるからだ。三津場所を移そう。」

 

 

桂は三津の手を引いて上流に向かって歩き出した。三津はぴたりと桂の背後について歩いた。見覚えのある三条大橋を通り越してさらに上へ向かう。

 

 

「悪いね,道は分かるかい?」

 

 

「川沿いを歩けば大丈夫です……あの場を離れないと追手が来るんですね?」

 

 

「理解が早いね。そうだ,我々は完全に朝敵となってしまった。今まで以上に厳しく追われる。君も新選組に追われるだろう。」

 

 

二条大橋の下まで来てようやく桂は足を止めた三津の方に振り返り細い体をきつく抱き締めた。

 

 

「私は何一つ守れなかった……。だがまだ終わってない。これからやる事が山程ある。」

 

 

「私は何か出来ませんか?」

 

 

家でじっと待っているあの時間がどれほど苦痛だったか。信じて待つしか出来る事はないだろうけど少しでも何か役に立ちたかった。すると桂は耳元で囁いた。

 

 

「三津の握り飯が食べたいな。」桂の為に出来る事がある。その言葉に三津は胸がいっぱいになった。ほんの些細な事だけど桂に必要とされた。それが堪らなく嬉しかった。

 

 

「はい,いくらでも握ります。喜んで。」

 

 

泣きそうになりながら笑って上を向くと桂はぷっと吹き出した。

 

 

「すまない,三津にも煤がついてしまった。」

 

 

桂の着物に顔を埋めたからおでこや鼻や頬が黒くなっていた。

 

 

「もっと汚してください。小綺麗な格好だと浮いてしまいます。私も身を隠さなアカンので変装にちょうどいいです。」

 

 

「物分りが良くなったね。三津は元々私を困らす事はあまりしない子だけど。

多分覚悟は出来ているだろうから今の時点で分かってる事を話す。」

 

 

桂は三津の後頭部を押さえて自分の胸に埋めさせた。

 

 

「今回の戦で玄瑞はもう戻って来ない。九一の方は行方が知れない。だが見ての通り焼け野原だ。生きている望みは薄い。」

 

 

三津は桂の着物を握りしめ,奥歯を強く噛み締めた。悔しさや怒りがそこにはあった。今回は自分の大好きな町まで奪われた。

 

 

何で戦なんかしたんだと喚き散らしたいがそれをぶつけていい相手が誰なのか分からず,三津の中で怒りがぐるぐると渦巻いた。

 

 

「みんな……自分のしてる事が正しいって思って動いてるのに……何でそこには得る物より失う物の方が多いんですかね……。」

 

 

「……すまない。」

 

 

別に謝って欲しい訳ではない。これも桂達が成し遂げようとしている事に必要な過程なんだろうとも思う。だけどどうして戦がその手段なのか,それしか本当に方法がないのか。それが疑問だった。

 

 

「私はこれから長州がいい方へ向かうように小五郎さんを支えますから。」

 

 

「あぁ,頼むよ。」

 

 

三津はそっと桂の胸を押して体を離した。

 

 

「見つかったらアカンのは分かってるんですけど,おじちゃんとおばちゃんを探したいんです……。」

 

 

「分かった。私の方でも……。」

 

 

「いえ,小五郎さんは目の前の事に集中してください。自分の事は自分でやります。」

 

 

三津は力強い目で桂を見上げた。そんな目で見られては何も言えないよと桂は笑った。

 

 

「家の箪笥の上の段の引き出しに私の給金と女将から預かった君の給金がある。それでしばらくは暮らせるはずだ。」

 

 

「私の給金?」

 

 

三津は首を傾げた。甘味屋には養子になる約束で生活の全ての面倒を見てもらっていて給金など発生してない。

 

 

「君が嫁ぐ時の資金に貯めていたそうだよ。」

 

 

トキの親心に三津はまた泣き虫になった。