沖田はそう言うなり、土方の耳に

 沖田はそう言うなり、土方の耳に口を寄せる。

 

 

「なッ、総司……。それは…………」

 

「斎藤君でも良いですけど。だって、生髮食物 貴方たち……あの子を見る目が優しいんですよ。気付いて無いでしょう──」

 

 

 

 そのやり取りをずっと影から見ていた桜司郎は、どこか寂しさのような感情が胸に湧くのを感じつつ、柱に背を預けた。

 

 

──やはり、沖田先生は自分のせいで局長が討たれたと思っていたんだ。それに……

 

 土方の前では沖田は素で居られるのだという現実を突き付けられた気がした。想いを通わせてから距離が近くなったはずだというのに。

 

 

「…………何だか、遠いな……」

 

 

 綿入れを取ってこよう、と逃げるように凍るほど冷たい廊下を戻った。 近藤と沖田は人知れず去った。大々的に見送ろうものなら、それこそ薩長の知るところになる。

 

 彼らが大坂へ下った際に同行したのは、山崎だった。無事に送り届けた彼が帰営したのは数日後のことである。

 

 

 中庭で一心不乱に木刀を振る桜司郎の元へ近付く影があった。

 

 

「──珍しく荒れてはるなぁ。無事に送り届けましたよ」

 

「山崎さん……。ご苦労様でした」

 

 

 視線をちらりと向けただけで、再びそれを構える。本来は一刻振り続けても乱れることのないはずの軌道が、僅かにぶれた。

 

 その様子を柱に凭れながら見ていた山崎は面白そうに口角を上げる。

 

 

「何や、愛しの沖田センセを送りたかったんなら、そう言えば良かったのに」

 

「……揶揄わないで下さいよ。そうじゃないです」

 

 

 沖田の見送りはしっかりと行ったつもりだ。「必ず生きて会いましょう」と言われたのだから、果たす気でいる。

 

 ただ、無性に落ち着かないのだ。何かをしていないと正気を保っていられないのではないかという程に、浮き足が立ってしまう。

 

 戦を前にしているのだから、当たり前の反応と言えばその通りなのだが。

 

 

「ふうん。なんや、つまらんなぁ」

 

「つまらんって……。落ち着きが無いのは私だけじゃないですよ。……ああ、ほら。丁度来ました」

 

 

 桜司郎が指さした先を見遣れば、そこには土方が忙しなく歩く姿があった。

 

 近藤が大坂へ下ってからは、土方は元々の副長職に加えて局長代行までしなければならなくなった。ただでさえ多忙だというのに、軍議にまで呼び出されるようになったのだ。 そして土方に続いて井上の姿が見えた。それを珍しそうな目で山崎が見遣ると、桜司郎は肩を竦める。

 

 二人の関係は、言わずもがな江戸からの付き合いである。それも、土方が"バラガキ"として悪名を馳せていた頃のことから井上は知っていた。何なら事ある毎に「あの時の歳は、」と昔話を持ち出すのだから、土方にとってはたまったもんじゃない。

 

 だが、今や近藤や沖田といった気心知れた者たちが欠けていくことで、変わらないことへの安心感を自然と求めているのではないだろうか。

 

 

「局長が下坂されてからは、副長の横はああやって井上先生が固めていますよ」

 

 

 しかし、それを疎ましく思う者は誰一人居なかった。時折頑固だが温厚な彼は"源さん"と慕われている故だろう。

 

 

「ほうか。しゃーないな、心が忙しない時は旧知の者が傍に居った方が安定するもんや。榊はんもおるやろ?ああ……記憶が無いんやっけ」

 

 

──……居ましたよ。けれど、皆死んでしまった。

 

 

 言葉にはしなかったが、その脳裏に浮かべたのは誰のことだったか。桜之丞も桜司郎も、あまりにも多くの人を失いすぎていた。

 

 ぼんやりと考えていると、手元からするりと木刀が滑り落ちる。カランという音が聞こえたのか、土方が此方を見た。

 

 

「随分と珍しい組み合わせじゃねえか……。ご苦労だったな、山崎」

 

 

 近付いてくると、目元の隈の濃さや乱れた髪がより分かりやすく見える。元は身綺麗にしている土方だというのに、余程疲れているのだろう。