それを認識した途端に沖田は目頭が熱くなるのを感じる。
京へ向かって歩き出そうとする足を止めた。山南はそれに気付き、振り返る。
「山南さん…これが最後です。經痛 もう聞きません。……本当に、良いんですね?」
「ええ。一緒に壬生へ帰りましょう」
揺れる沖田の声に対して、登りかけの太陽に照らされた山南は穏やかに微笑んだ。それは江戸の頃から何ら変わらぬもので。
迷いのない真っ直ぐで静かな瞳に、沖田は目を細めて笑みを返すことしか出来なかった。
もうあの頃には戻れないのだと悟りつつ、馬を引く。
浪士組として上京する際に、期待と不安に胸を高鳴らせながら歩いた道を、山南と共に進んだ。沖田と山南が壬生の屯所の門を潜ったのは、昼のことである。
奇しくも、山南の脱走が公表された後の話だった。一番組頭と総長の双方が揃って居ないことに伊東が気付いたのである。
夜中に発覚したため、隊の混乱を抑える名目で日中の公表にする予定だったと説明された。
もう戻って来ないと、事情を知る幹部の確信を裏切るかのように山南は現れたのである。
「お恥ずかしながら、帰って参りました」
療養から戻った時と同じように穏やかな笑みを浮かべていた。
山南の後ろにいる沖田は顔色が悪い。
いの一番に駆け付けたのは土方と桜司郎だった。夜通し副長室で待っていたのである。
「山南……分かっていて戻ってきたんだな」
寝ていないこともあり、土方の目の下には大きな隈が出来ており、余計に凄みが増していた。
「はい。覚悟は出来ております」
土方は山南に背を向けると、着いて来いと言い広間へ向かう。
立ち尽くす沖田の元へ桜司郎は駆け寄った。
「沖田先生…」
「私の留守の間、何事も有りませんでしたか?」
沖田は笑顔を浮かべた。それは明らかに痛々しいまでの作り笑いで、桜司郎は俯く。
「はい。何事もございませんでした…」
「そうですか。…恐らく今から山南さんの詮議が始まります。
は夜になるかと。貴女は少し寝て来なさい。寝ていなかったのでしょう?」
沖田は、土方と同じように隈を拵えた桜司郎の目元にそっと手を当てた。
「よう、総司。追っ手お疲れさん。お前も顔色ィんだから、一緒に休んで来いよ。湯たんぽも運んでやる」
「原田さん、私は…」
「良いから良いからッ。鈴木は、総司が布団から逃げ出さねェように隣で寝てくれよ。夜な夜な土方さんの相手したんだって?お疲れさんだったな」
そこへ原田が現れる。馬の手綱を奪い、馬番の隊士へ渡すと二人の背を無理矢理押していった。
有無を言わさずに原田は沖田の羽織を脱がせると、布団へ押し込める。その中には既に湯たんぽも用意されていた。
「休ませろってのは局長命令でもあるんだからなッ」
土方の愚痴に桜司郎が付き合った事も近藤は知っていたのである。その上で沖田と共に休ませようとの配慮をしたのだ。
原田はそう言うと、障子をぴしゃりと閉めて去っていく。
「……強引な人だなァ」
沖田は苦笑いを浮かべた。隣で同じく寝かされた桜司郎を横目で見る。
「土方さんは…荒れてませんでしたか?」
桜司郎の脳裏には昨夜の土方の様子が浮かんだ。だが、敢えて自分を愚痴相手に選んだのは元の仲間に心配を掛けたくないからなのだろう。
「……はい、大丈夫でしたよ。お酒の相手をしたくらいです」