朝、島田とそろって起きてゆくと、沢が朝食を準備してくれていた。
潜伏用にと準備していた食材をつかい、深夜、俊冬がでてゆくまえにつくっていったようだ。
おむすびに鯵の干物、婦科檢查 具沢山の味噌汁に海苔の佃煮、もちろん、沢庵・・・・・・。
それを、沢があたためたり焼いたりしてくれたのである。
「たまは、おれが命じた任務で戻ってこねぇ」
朝食を噛みしめながら、副長が告げる。みな、さして気にする様子もなく、「食事は、順番につくるか」とか、「いやいや、これだけしかおらぬ。みなで手分けしよう」などと話している。
「主計。喰ったら、出発しろ」
上座から命じた副長は、疲労感が漂っている。いつものごとく、それがイケメンに作用することはけっしてない。
「承知」
おれは、深夜のことなどなにもなかったかのように承諾する。
そして、勝と松本の嘆願書を携え、隠れ家をでた。
相棒は副長の左脚許にお座りし、見送ってくれた。
東山道鎮撫総督軍の本営が、江戸の玄関口である板橋宿に置かれるのは、至極当然であろう。
板橋の刑場は、その本営が置かれている板橋宿の手前、平尾一里塚ちかく、現代ではJR板橋駅の北付近である。
おれは、本営に嘆願書を持参した。
どうせとっ捕まるのである。それも、ソッコー。ゆえに、「之定」とマイ懐中時計は島田に託した。
少女漫画のごとく、一つ一つのパーツがムダにおおきくてすっきりはっきりしたである。
兄は1852年、弟はその翌年の1853年生まれである。つまり、まだ16歳と15歳の子どもが、要職についているのだ。
もちろん、実権は長州や薩摩、土佐が握っている。
二人とも、明治期にアメリカへ留学し、帰国してからそこそこ活躍する。
おれが、そんなお偉いさんに会えるわけはない。
臨時の事務所っぽいところにいって、そこにいる事務職員っぽい連中にその旨伝えてみた。すると、屈強な兵士がソッコーすっ飛んでき、案の定御用となった。
そして、連れてゆかれたのは、おおきめのフツーの家であった。
意外である。
おそらく、接収した民家を、臨時の牢屋にリフォームしたのであろう。
板橋の刑場については、資料が乏しいらしい。ゆえに、新政府軍が局長を処刑するために設けた、臨時の処刑場ではないのかという説もある。
処刑場所は、いわゆる馬捨て場といわれるところであったらしい。
などが埋められた場所だという。
ところで、御用となったおれは、縄で縛られた。もちろん、あぶないプレイをするためではない。事務所から監禁される牢までの間である。
前手首を縛り、というのは、武士にたいして掛けるものである。
もっとも、おれのこれがそうなのかはわからないが。
日本は、縄の掛け方一つとってもこだわりがある。性別や身分によって、ちがいがあるわけだ。もちろん、刑の種類によっても。
って、ヨユーぶっこいて蘊蓄を述べている場合ではない。
め、めっちゃいたい。それはそうだ。奉行所で罪人などに縄を掛ける同心などでないかぎり、あるいは日頃からあぶないプレイで縄をつかっているのでないかぎり、ここにいる兵士にうまくできるわけはない。
つまり、超テキトーに掛けられたってわけだ。それこそ、なんちゃって二重菱縄って感じである。
ありがたいことに、牢屋はすぐちかくであった。臨時というか仮設っていうか、急遽リフォームした感満載のではなく、各部屋に木製の檻を設置したなんちゃって牢屋である。
ただ、見張りだけはムダにおおい。
すでに、近藤勇だということはバレているはず。
おねぇ派の加納鷲雄が密かに呼びよせられ、取調室のマジックミラー越しに首実検でもやったっていうことは、もちろんない。
その加納の談話が、残っている。明治期に語られたものである。
かれが「近藤勇」と声をかけると、局長の顔色がみる間にかわったという。
当然であろう。局長は、まさかこんなところに御陵衛士の残党がいるとは想像もしなかったろうから。