「……桜花はん、少し遅うなってもええで。ウチは先に帰っとるから」
「お、おマサさん。護衛は──」
「ええのええの!子宮環 火事も広がらんかったし、何てことあらへん。……ほな、色男はん。桜花はんを宜しゅう頼みますえ」
心得たと言わんばかりにニコニコと笑うと、マサは足早に去って行く。
ぽつんと残された桜花は気まずそうに、吉田を見上げた。
「……お言葉に甘えて、少し……歩こうか」
吉田の提案により、二人は少しの間無言で歩いた。気付けば人通りは殆ど無い。
足元の影が徐々に伸びていく。それを目で追いながら、吉田は少し後ろを歩く桜花を横目で見た。あれほど憂鬱だった気分が、どこかふわふわとした甘いものへと変わっていたことに気付く。
──もし、……もし、君が初めからだと分かっていたのなら、僕はここまで親しみを覚えることは無かったのかも知れない。これも、天運なのだろうか。
自制心が誰よりも強い自覚はあった。女子など国事に奔走する上で足枷になると信じてきたのだ。
しかし、桜花が女だと分かった後であっても嫌悪感は微塵も無い。それどころか想うことを赦されたような、解放された気持ちになった。
ただ気掛かりなのはの使用人をしていることである。
その時、ふと桜花が足を止めた。それに直ぐに気付いた吉田は振り返る。「吉田、さん……。……その、この間は失礼しました。私、本当は……女、で……」
途切れ途切れに紡がれた言葉尻は少し震えている。いつもはほんのりと頬を染め、花が咲くように笑うというのに、今は青白くすら見えた。
「だ、騙すつもりは……無かったのです。いつか言わなければならないと思っていて、でも……言えなくて、」
「──それは、なして?」
声を遮り、吉田は真っ直ぐに桜花の瞳を見詰める。いつの日か、誰かが瞳は真実を雄弁に語ると言ったことを思い出した。
その問い掛けは決して責めるような声色ではない。むしろ優しく、次を促すようなものだった。
「……怖かったんです。もしも、本当のことを言ってしまえば、この関係も変わってしまうんじゃないかって」
僅かに桜花の瞳が揺れる。薄らと潤んだ琥珀色のそれは朝露のように綺麗なもので、その言葉に偽りがないものだと吉田は悟った。
それと同時に、似たような怖さを感じていたことに嬉しさのようなものを覚える。
脳裏に"頑張れ"と久坂の声が響いた。
「…………僕も、怖かった」
「……え?」
「君の傍は心地が良すぎる。君のことを知ってしもうたら、離れなくてはならぬことになるのでは無いかと。じゃけえ、僕は……君の素性について聞けんかった」
それこそ、もし桜花が高貴な身分であれば言葉を交わすことすら許されなくなる。"知る"ことが"別れ"に繋がることも多々あるのだ。
悪いんはお互い様じゃ、と笑う。照れくさそうなその表情に、桜花の頬はみるみる熱を持った。
「僕こそ、無理矢理脱がそうとしてしもうて……すまんじゃった。いくら、男じゃと思っちょったとは言え……。女子の肌を見るなぞ許されん」
「そ、それは……ッ!私が悪いんですし、もう……忘れて下さい……」
その時のことを思い出したのだろう、慌てる彼女を見て吉田は口角を上げる。
──忘れろと言われても。に綺麗なもんを忘れられる気がせん。すまん。
いくら禁欲的とは言え、まだ健全な男盛りなのだ。そういうことに興味が無いわけではない。多少の罪悪感を覚え、片手で口元を覆いながら視線を逸らした。 すると、
「…………吉田さん、もう一つ……話していないことがあるんです。聞いて下さいますか……?」
と控えめな声が聞こえる。覚悟を秘めたような視線を受けて、吉田は真剣な表情を浮かべた。
「うん」
「……実は、私、新撰組の屯所にお世話になっているんです──」
そのように切り出すと、これまでの経緯を話し始める。
それを聞いているうちに、吉田の心は幾分か軽くなった。好意に甘んじている節はあるものの、新撰組に身を置くことになった経緯がやむを得ないと感じられるからだ。
むしろ、男としては島原で働かれるよりマシだとすら思える。
「……先程の女人が、その八木家のご内儀?」
「はい。とても良くして下さいます」
「ほうか……。それは確かに先程の様子で納得じゃ。良かったのう、感謝せにゃならん」
──僕らにとって新撰組は敵。じゃけど、それをこの子に言うてもどうにもならん。