「私は、ただ先生

「私は、ただ先生の背を守れればそれで良い」

 

 

 桜司郎はきっぱりとそう言うと、薄い笑みを浮かべた。まるでそれは散り際の桜のような儚さを彷彿とさせる。

 

 山野は冗談で言ったつもりだったが、嚴重經痛 思ったよりも深刻な答えが返ってきたことにバツの悪さを感じた。

 

 

「そ、そうか……。いやァ、こんなに想ってもらえて沖田先生も憎い男だねえ!な、桜司郎。次の非番は祇園へ行こうぜ。馴染みの妓を作ってさ、癒してもらうんだよ。それともあれか、男の方がいいか?」

 

 精一杯の気遣いのつもりなのだろう、慌てる山野を見て桜司郎は思わず笑い出す。それを見た山野はムッとして腕を組んだ。

 

「な、何だよ。折角人が慰めてやろうとしてんのに、笑うなんてよ」

 

「ふふ、どちらも要らないよ。紛らわしいことを言って御免だけど、私には江戸に可愛い人がいるの」

 

 桜司郎は咄嗟に嘘を吐く。これだけ思いやりのある親友を困らせたくないと思ったのだ。脳裏には花が綻ぶように微笑む の姿を浮かべる。利用してごめんなさい、と心の中で謝った。

 

 それを聞いた山野はあからさまに安堵する。

 

 「何だ、君も女子が好きなのか!そうだよな。柔らかくて良い匂いがして、弱々しくって守ってやりたくなるよな……。なあ、どんな子なんだよ」

 

 楽しげに桜司郎の肩に手を回す山野と、

 

「ええー、教えなきゃダメ?」

 

 気恥ずかしそうに微笑む桜司郎の姿を、馬越は複雑そうな表情で見つめていた。その瞳には哀愁が纏っている。

 やがて壬生寺に着くと、そこには袖を捲って襷掛けにした藤堂や武田の姿があった。三人の姿を認めるなり、藤堂は整った眉を顰めながら此方へ歩いてくる。

 

「おそーい!君たち、何時だと思っているのッ。調練の刻限を何と認識していたのさ」

 

 藤堂は大銃頭という砲術の担当にもなっており、武田は元々その知識が多少ある。そのために砲術の調練担当をしていた。

 

 

「ひ、で固定化されていたが、今日に限って変更になったと馬越が武田より聞いていたという。その為、三人は少し遅めに屯所を出たのだ。

 

 

「そんな訳が無いでしょッ。誰に聞いたの、そんなこと。もし大事な調練をサボったとなれば、どうなるか分かるよね?」

 

 馬越は肩を竦めると、武田へ視線を向ける。藤堂も釣られて同じ方向を見た。

 

「はてさて……。私は預かり知らぬことですよ。第一、調練の担当をしている私が刻限を間違える訳が無いだろう。そもそもお前と話してすらおらぬが?私のせいにしようとは……嘆かわしいことですな」

 

 武田は悲しそうな表情を浮かべて、瞳を伏せて見せる。そんな、と馬越は今にも泣きそうな表情になった。

 

 ニヤリと武田の口元に笑みが宿ったのを、桜司郎は見逃さなかった。嵌められたのだと確信を得る。拳を固めると、馬越の横に立った。

 

 

「……武田先生ともあろう方が、随分と幼稚な真似をなさるではないですか」

 

──近頃大人しくなったと思えば、まだこのような稚拙なことをしているのか。

 

 そう呆れと共に松原の件を思い出しては怒りが湧いてきた。

 

 何?と武田は桜司郎を侮蔑の念を込めて見やる。すると、今にも射殺さんばかりの底冷えするような視線で見られていることに気付いた。

 

「な、何だその目はッ!誰に向かって口を聞いておるッ!!伍長になったからと云って、天狗になっているのではあるまいな」

 

 本能的な恐怖を感じたのだろう。一歩後退りながら、武田は叫ぶ。

「……くッ!何を見ているッ!早く調練へ戻れッ」

 

 

 いつの間にか背後に野次馬が出来ていることに気付き、武田は怒鳴り散らす。そして大きな足音を立てて去っていった。