荒い足音が聞こえてくる

 荒い足音が聞こえてくる、甲冑のかち合う音も混ざっていて、どこからかの伝令なのがわかった。黄色の旗指物と黄土色の戦装束、直下の兵ではない。

 

「何事だ」

 

 視線を向けて報告を聞く態勢だけをとる。何者であっても差し止めてはならない、それが俺が課したルール。

 

「申し上げます! 植髮成功率 北西部の山中より魏軍が現れ洛陽に迫っております! その数四万!」

 

「山越えとはご苦労なことだ、主将は」

 

「『徐』『右』『王』『軽』『夏候』『征蜀』『孫』ゆえ徐晃将軍と思われます!」

 

 汚名返上というわけか、それとも意志を曲げてでも出陣せねばならんほど立場が押し迫っているのかもしれんな。いずれにせよ俺の役目ではない。

 

「鐙将軍はどうした」

 

「兵二万を引き連れ迎撃に向かいました!」

 

「そうか。下がって良い」

 

 一礼すると伝令は退室する。積雪もあり補給が切れているような敵に負けるようなことはあるまい、重要なのは徐晃がなぜ今現れたかだ。両手を後ろにやって外を眺める、そのうち呂軍師がやって来るだろうと。

 

「我が主、お聞きになられましたでしょうか」

 

 にこやかに部屋に入って来ると、知っているだろう一報について触れる。その何歩も先まで準備が出来ていることだって俺は知っているぞ。

「どうも城の住民を人質にとり、奴隷兵を作り近隣を攻めさせているようです」

 

「意趣返しか、魏としては憎たらしいと感じるだろうな」

 

 元々この地を占領するつもりで攻めてきているわけではないんだ、いくら恨まれようと関係ない。そういうことならば兵など幾らでも湧いて出てくる、厄介この上ないぞ。批判の的になりはするが、漢人が異民族を尊敬したことなどあったか疑問だ。

 

「いずれ大規模な反乱がおこるのは必定、それまでにどこまで魏を圧迫できるかといったところでしょうか」

 

 それは違うぞ、馬謖らにそこまでやれとは言わんが行きあたりばったりを受け入れている程戦争は甘くない。少しの間無反応でいたが参軍らでは考えが及ばなかったようで声が上がらない。

 

 一つ小さく気づかれないようにため息をつく。いや、経験と適性の差でしかない。

 

「実際に行うかはともかくとして――」半身だけ後ろを向いて、若い参軍らに視線をやり「その反乱を誘導できないか、統制可能ではないか、或いは何かしらの利用が出来ないかを研究してみると言うのはどうだ」

 

 馬謖が眉をピクリとさせて「御意! 参軍らよ、ついて参れ」少しばかり頬を赤くして部屋を出居ていく。個人の才覚に依存しすぎて人材の育成にバラつきがでている。平和になったらなんていうのは言い訳でしかないな。

 

 手のひらにはしわが刻まれていて、中年のソレになっている。急速に老け込んでいるわけではないが、俺だって年を取るようだ。不老長寿は幻ってわけか。もし孔明先生が没したら蜀はどうなる、俺が死ぬよりも激震が走るぞ。まず呉が裏切るのは既定事項とすらいえるか。

 

 為政者としては褒められたものではないんだろうが、自分が死んだ後の世界までは面倒が見切れん。俺は俺が出来ることだけを全力でやるさ。

 

 随分とあたりが白くなったな、ここまで来るともう外での行動は限界だ。防寒具を余る程作って売りさばいたりもしたが、案外適量だったのかも知れん。

 

 董軍師の指揮の元、風呂場も稼働し始めているし、洛陽に駐屯している連中は問題ない。こちらでも風呂は大人気で、二十四時間湯を焚きっぱなしだ。夜中に入りに来るのは一般市民で、軍兵らは昼間に優先してつかえるようにしてある。

 

「京の様子はどうだ」

 

 換気用に開けてある屋敷の窓から外を眺めつつ、誰にでも無く話しかけた。側近のうち参軍らは殆ど共に居るが、今日はたまたま馬謖が屋敷に居たので応じる。

 

京城の士気は低く、程なく開城の運びとなるでしょう」

 

 援軍が来ないので降伏する、それは決して責められることではない。降伏するまでに増援を出せなかった勢力が、城を見捨てたとすら言われる。後巻きをしないのか、出来ないのかなど当事者らには解りはしないのだから。

 

「そうか。軻比能らはどうしている」

 

 ここより北なんだ、凍てつく寒さで戦どころではないだろうよ。鮮卑の特徴である馬匹は寒さに弱い、こればかりはどうにもならんぞ。

 

「それですが、魏郡の都である業を落とし、陰安、衛、内袁、穆丘、白馬、朝歌と一帯の軍を撃破し猛威を振るっております」

 

「ほう、何とも凄い勢いだな」

 

 こちらが京城一つ落とせていないというのに、平城だろうが沢山抜いているとは。北方のやつらの寒さ耐性を甘く見ていたか?