咳をする度に骨

 咳をする度に骨が軋むような感覚に襲われた。昔から身体が弱かったせいで、風邪を拗らせたのかと思い込んでいたが、そうでは無く病に冒されているのだと最近知ったのである。

 

 

 これまで好き勝手に生きていた分、避孕 命に執着はしていない。だが、長くは生きられないと悟った途端、残りの時間をより自分らしく生きたいと思った。そんな時、ふと浮かんだのが桜司郎の存在である。珍妙な格好で倒れており、女なのにも関わらず剣術の腕が立つ。興味が湧かない訳がなかった。

 

 

「……早う目ェ、覚ましてくれよ」

 

 そう呟くと、高杉は戸を開けて部屋を出ていく。使用人へ桜司郎の夜間の看病を言付けると、松下村塾を後にした。

 

 

 部屋に残された桜司郎は顔を歪める。意識の中で何を見ているのか、目尻からは一筋の涙が零れた。

───ねんねんころりよ、おころりよ。

 

 脳裏の中で優しい声が響く。パチパチと火花が爆ぜる音と共に、建物が崩れゆく音が鼓膜を刺激した。熱風のせいで喉が焼け付くように熱く、息が吸えない。刺された腹や背の痛みなど、とうに感じ無くなっていた。

 

 震える手を前に伸ばす。その先には愛刀が落ちていた。瞼の裏には日ノ本を駆け回って見た光景や知り得た友人の顔が浮かぶ。

 

 刀の柄を掴むと、力尽きたように動けなくなった。子守唄が遠くに聞こえる。

 

 

───坊やは、良い子だ、ねんねしな。

 

 

 目を開けると、そこは白い天井だった。笑顔の女の人がガラガラを片手に、いないいないばあをしている。

 

 赤ん坊の頃は良かった。母も父も笑っていた。竹刀を手にしてから全てが狂ったのだ。皆が離れていく。

 

 人生をやり直したくて、お祓いに行こうと思ったのに。まさか崖から落ちるなんて思わなかった。

 

 

───ぼうやのお守りは、どこへ行った。

 

 

 目の前に広がるのは木目の天井。そして優しく、何処か懐かしい老婆や高杉に出会った。

 

 神隠しか天狗攫いに会い、違う時代に来たと分かった時は酷く絶望したものである。それでも生きていかなければならない。

 

 顔も名も思い出せないけれど、大切な人と出会った。暖かい気持ちを教えてくれた。けれど、あの人はいなくなってしまった。

 

 

───あの山こえて、里へ行った。

 

 

 何かに絶望して、自害をしようとした。それを必死に止めてくれたのが沖田先生。そして居場所となったのが新撰組だった。

 

 武士になりたいと、ならなければならないと心の奥で誰かが叫んでいる。刀を取ることを決めた。

 

 

───里のみやげに、何もろうた。

 

 

 大切な仲間が出来た。大事な友が出来た。大事な友を失った。人の数だけ善意と悪意があることを知った。

 

 初めて人を斬ったけれど、立ち止まることは許されない。罪を背負って進む選択肢しか私には無かった。

 

 

───でんでん太鼓に、 の笛。

 

 

 沖田先生、ごめんなさい。私、貴方に隠し事をしていました。貴方の忠告を聞かずに出て行ってしまいました。 まだ高熱があるのだろう、身体が重く怠かった。座って居られず、ふらりと横になる。

 

「久しいのう。此処は、長州の萩じゃ」

 

 長州の萩、と頭の中で繰り返した。ぼんやりとしながらもそこが何処なのか理解するなり、驚きの表情を浮かべる。

 

 

「ち、長州……!?」

 

 あれ程近藤らが入りたがっていた長州に居ることと、何故高杉が目の前にいるのかという疑問が頭の中で膨れ上がった。しかし、高熱かつ数日ぶりに目を覚ましたばかりの脳では処理しきれない。

 

 

「桜花、もう少し良うなったらまた話そう。今は身体を休めるんじゃ」

 

 口角を上げると、高杉は桜司郎の頭を撫でた。その手はひんやりと冷たい。桜花なんて久々に呼ばれたなと思いつつ、再び微睡みの中へ落ちていった。