「……儂はそなた程の年の頃

「……儂はそなた程の年の頃、張洪将軍の娘を妻に貰った。その妻が娘を産み、命を落としたのだ。匈奴戦線に在った際にその報を聞いた時、膝から崩れ落ちそうになった。十年以上も異民族と戦う最前線に在り続け、ある日都から都司空丞がやって来て罪を問うた。異民族と示し合わせて戦を長引かせているのではないかと」

 

「バカな!」

 

 中央の役人が考えそうな下らん言いがかりだ!

 

「張洪将軍が儂を庇いたてて官を去った。經血過多 それから十四年、娘が王氏に嫁いだ。安北将軍・北河太守・仮節を与えられ北匈奴と幾度も戦い季節が過ぎ去ると、孫娘が帝の妃として嫁ぐことになったと聞かされた時は驚いたものだ。協が産まれ孫娘も健在でどれだけ心が満たされていたか。だが何皇后により孫娘は毒殺された」

 

 そいつは聞いている、嫉妬の類だろうなって。なまじ身分が高くなってくると、平和に生涯を過ごすことすら出来なくなるんだよな。

 

「協はまだ幼い。儂が協のことを後見してやれる時間はあまり長く残されておらん。だが右を見ても左を見ても、敵ばかり、時に協を利用してやろうと考えているものがすり寄る位だ。情けない、儂は志を持つ者を育てることが出来なかった。何が将軍だ! 何が列侯だ!」

 

 そこで咳き込む。癒彫が背をさすってやり落ち着くのを待った。軽く手をやって離れろと追いやる。

 

「だが天意だのなんだのと言い、絶望の淵にあっても協を裏切らぬ者が現れた」

 

 立ち上がるとゆっくりと近寄って来る。両手を伸ばして肩に置いてきた。

 

「儂がしてやれることは少ない。島介よ、志を託しても良いだろうか? 頼む、協を支えてやって欲しい」 頑固一徹の爺さんが涙を流して懇願する。見てはいけないものを見たような錯覚に陥りそうになってしまった。

 

「頼まれずとも、自分はそうするつもりです。その為にここに在るのですから」

 

 小刻みに頭を上下させると、呼吸を整えるのにやや時間を要した。癒彫に支えられて椅子まで戻ると、顔をあげてこちらを見る。

 

「もう寿命が長くないことは己が一番よく知っておる。孫家の財産一切をそなたに託す。引き受けてくれるだろうか?」

 

 一歩下がり片膝をついて両手を胸の前で合わせ、頭を垂れる。

 

「この島介、孫羽将軍のお志を引き継がせて頂きます!」

 

 この人物は本物だ、歴史の狭間で名を忘れ去られた英雄だろう。寿命とは人に与えられた許しでもある、だが志は永遠を臨めるものだ。

 

「孫伯麗が島伯龍へ願う」

 

 孫羽もまた両膝を床につけて頭を垂れた。また咳き込んだので「閣下、どうかお休みになられてください」癒彫が肩を貸す。

 

 これ以上ここに居ると負担になるな。

 

「将軍、どうかお休みになってください」

 

「ああ、そうさせて貰う。伯龍よ、今後儂のことは長官と呼べ」

 

「承知致しました」

 

 ということはここの武兵らは皆……そういうことなんだろうな。肩を借りて寝所へ行く後ろ姿を見送ると、俺は屋敷を後にした。羽長官か、あの動乱の時代を見ることなく世を去ったのは、或いは幸せだったのかも知れないな。

 

 数日後のことだ、孫羽が死去したと急報が舞い込んできたのは。葬儀は国葬として行われ、喪主は劉協が務めることになった。異例のことではあるが、少帝が特にそれを許したので特別にそのようになったのであった。