井上が離れの庭の前に立ち

井上が離れの庭の前に立ち、隊士達の人払いをしている中で。

 冬乃は井上に会釈して女使用人部屋に入るなり、殆どへたりこむようにして座った。

 

 「あんたは・・如何して帰ってきたりしたんだ!」

 すぐに襖越しに聞こえてきた、土方の悲痛な声に続き、

 「幹部が組抜けしたままでは、格好がつかないだろう」

 山南の困ったような声が聞こえてきて。

 

 「いつまで経っても見つけてくれないから 藥性子宮環 自分で帰ってきてしまったよ」

 

 

 (そんな・・・)

 

 「・・・つまりあんたは、はなから何処かへ行く気など無かった、と言うのか」

 

 「すまない。・・この世での最期に、ちょっとばかり初春の風に吹かれてきたくなってね」

 

 「・・・」

 

 (この世での最期・・・)

 

 

 「気苦労かけて申し訳なかったが、おかげで心残りは無くなったよ」

 

 そんなふうに、まるでふらりと遠出の散歩にでも行って帰ってきた様子の山南に、

 

 「山南さん頼む、今からでももう一度、此処を出てくれ・・!」

 

 まもなく所用から戻って駆け付けた近藤の、縋る声が追った。

 

 

 山南は首を振ったのだろう。

 

 近藤の声の後、音が一切消え。

 

 

 冬乃は、愕然と。閉じられた襖を見つめた。 

   

 

 

 夕餉の席で山南は隊士達の前に立ち、頭を下げた。

 

 「御迷惑おかけして申し訳なかった」

 

 沈黙する広間を、山南の穏やかな声が響く。

 

 「組抜けしたはいいものの、行くあても無く、」

 

 池田屋事変も禁門の戦も経験していない、未だ烏合の衆でもある新入隊士達に、

 まるで言い聞かせるように。

 

 「やはり隊規に背いたままでは申し訳がたたぬと思い、戻って参った」

 

 

 組の規律は、

 たとえ中核幹部の己であろうとも背けぬ、絶対の法であると。

 

 

 

 (・・山南様)

 

 その命をもってして、組の統制をここに強固に纏めんとせんばかりの静かな気迫さえ、冬乃は感じていた。

 

 その姿は、悲しくなるほど穏やかに、いっそ清らかで。

 

 

 苦痛に歪む顔を隠しきれず近藤が、黙って下を向いた。

 土方は、手に握る湯呑を睨みつけたままで。

 

 山南と親しき者達は皆、声も無く、

 

 「申し訳ない」

 

 もう一度、頭を下げた山南に、己への無力感に。震える唇を噛み締めた。

 

 

 

 

 法は。人が人を律するために作り出した箍。

 

 それがために、

 天狗党は刑を受け。

 山南は、切腹を受け入れる。

 

 その選択は山南の、ひとつの答えだったのだろう。 

 

 

 明朝に山南の切腹の沙汰が決まっても。

 局長部屋に詰めかけた幹部達によって、尚、必死の説得が密かに始まった。

 

 「山南さんの組抜けは、いうなれば気鬱によるもの、決して、組に反してのものではない。そうでしょう・・?」

 近藤が真っ先に口火を切った。

 

 「隊規の範疇の外として、隊士達を説得することもできるはずだ。それは特例でも、武士の情けでもない。きっと皆は納得する・・!」

 

 「近藤さん、私は」

 山南はあいかわらず、困ったように微笑んでいた。

 

 「私は幕府に心底、失望した身だよ。つまり私の心は、もはや天子様にも背くもの、」

 

 息を呑む近藤を、山南の目がそっと見返した。

 

 「ゆえに、組にも背くものです」

 

 「・・・しかし・・っ・・」

 

 「確かに『攘夷』であれば、現時点では無謀だ。攘夷を擁する気はない・・此れに於いて、天子様の御意に反することを心苦しく思う。だが、」

 

 山南のその声は、静かに皆へと向けられた。

 

 「天子様の、残るもうひとかたの御意を汲むならば、やはりこれからも幕府を佐けてゆくべきだ。だが、私はもう・・・」  

 穏やかなままの山南の面に、一瞬、苦痛の色が浮かび。それはすぐに立ち消えた。

 

 「勿論、世を乱す長州の謀反の士に与する想いなど毛頭無い。つまりもう、この身は何処へいくあてもないんだ」

 

 

 山南の澄みわたる眼差しは、その場にいる全ての者の声を奪い。

 

 

 「もともと私の居場所は此処しかないんだ。ならばこの命、組のために使ってほしい」

 

 

 疲れたんだ

 せめて最期は皆のそばで死にたい

 

 

 只々穏やかな山南の声が静寂の内に落ちた。