に差し出された短刀を手にすると

に差し出された短刀を手にすると

 

「この刀には、儂も色々と思い入れがある」

 

と過去を懐かしむような表情をした。

 

「そなたとの駆け引きに使うたり、時には御守りじゃと言うて、へ出向く儂に、そなたが持たせてくれた事もあったのう」

 

「ええ。…されど、上様が勢い付き、を持たれるようになってからは、この刀の出番もついぞありませなんだ」

 

「そうじゃな。儂も今になって、この刀の力を借りる事になるとは思うてもみなんだ」

 

信長は目に笑い皺を寄せると、またすぐに静かな面持ちになって

 

「まことに使うて良いのか? 我が血で汚すことになるぞ」

 

と改めて訊ねた。easycorp

 

濃姫は微笑み、心持ち顎を引いた。

「無論にございます──。元よりそれは、父上様から、上様のお命を奪う為にされた御刀。

 

織田信長がまことのうつけであったから、これで刺し殺せ ” と、そう言われてしたお品にございます。

 

ろ、切っ先に上様の血を浴びて初めて、本来の意味を成す刀であるやも知れませぬ」

 

「そうか…、そうであったな」

 

信長は深げに頷いた。

 

「幸い上様は、うつけの皮をった賢人と分かりました故、私がその刀で上様を刺すことはございませんでしたが、

 

少なくとも今の上様は、家臣の逆心にも気付かず、かように悲惨な末路を迎えさせられる羽目になった、大うつけにございます」

 

この短刀に殺められる資格は十分に満たしていると、濃姫は冗談めかして言った。

 

「最後の最後まで言うてくれるのう」

 

「上様にぞんざいなお言葉をかけられるのも、正室である私の特権にございます故」

 

「な口を利きおって」

 

信長が小さく笑うと、微笑んでいた濃姫が急に咳き込み始めた。

 

口元を押さえ、実に苦しげな様子である。

 

「…お濃っ」

 

信長は思わずしゃがみ込み、妻のな背をった。

 

「…申し訳ございませぬ…煙が…。…それに何やら、いき、息苦しゅうて……」

 

濃姫は口に手を当てたまま、荒い呼吸を繰り返した。

 

無理もない。

 

迫り来る炎に酸素はく奪われ、立ち込める黒煙によって、まともに呼吸するのも困難な状況なのだ。

 

このままでは自分が妻を看取ることになってしまう。

 

信長は、もはや考えている余地はないとばかりに、三宝尊の像の真下でをかくと

 

「さればお濃。そちの言葉通り、我が命、親父殿の……いや、そなたの刀に託そうぞ」

 

濃姫に向けて、少年のような勝気な笑顔を向けた。

「…お濃よ」

 

「……」

 

「礼を申す。最後まで、儂のようなうつけ者に付き合うてくれて。……最後まで、妻でおってくれて」

 

「…上様…」

 

「この信長の正室は、そなたでなければ務まらなかったであろう…。そなたと出会い、共に過ごした歳月は、

 

まことに愉快であり、そして実に………な日々であった…」

 

魔王と恐れられた男の目から、すっと涙がこぼれ落ちた。

 

涙で潤んだ信長の瞳は、妻に対する愛情と感謝にれ、とても暖かかった。

 

濃姫も双眼に涙を浮かべ、美しい満面を哀しみで満たしながら

 

「……上様…。……上様…なりませぬ…、…駄目…っ」

 

と無意識に片手を夫のほうへ伸ばし、小さく首を横に振っていた。

 

 

覚悟していたはずなのに。

 

止めてはいけないはずなのに。

 

濃姫のは意思に反して、信長の命を守ろうとしていた。

 

 

信長は寝衣の胸元を大きく開くと、短刀の切っ先を自分の腹部に向けて構えた。

 

そして大きく息を吐くと、最後にもう一度だけ濃姫のほうへ顔を向けて、それは優しく微笑んだ。

 

「…お濃……有り難う……。そなたのことが…、そなたの笑顔が……好きであったぞ…」

 

信長はの思いで告げると

 

「さらばじゃ──…」

 

正面に顔を向け直すと同時に、短刀をドッと自身の腹に深く突き刺した。