「お前は今日から

「お前は今日から俺の愛人だ」

 

 逃げられないよう唯由の両手をつかんだ蓮太郎は、かなり迷って額にキスしてくる。

 

 すぐに離れた彼は強引な言葉とは裏腹にちょっと照れたような表情を見せた。

 

 そして、照れ隠しなのか本気なのか。

 

「……これで幾らだ」

と訊いてくる。

 

「百万か、二百万か」

 

 どうしても金を払って愛人にしたいらしいが。

 

 額に軽くキスされたくらいで、百万とか二百万とかとってたら、確実に私の方が悪人だ。「金を払わせろ」

「いやです」

 

「なにかお前のためにstock trading platform singapore金を使わせろ。

 マンションを買ってやろうか」

 

「しょぼいアパートで満足してるんで」

 

 狭くて掃除が楽なんです、と唯由は言った。

 

「今、狭小な部屋のありがたみを噛み締めているところです。

 邪魔しないでください」

 

 だが、蓮太郎は、

「そんなボロいアパートに若い娘が住むなんて物騒じゃないか」

と眉をひそめる。

 

 いや、しょぼいで、ボロいじゃないんですけど……。

 

 きっとこの人の頭の中では、うちのアパートは倒壊寸前で鍵も壊れてる感じなんだろうなと思う。

 

 そもそも、うちの会社、結構いい会社なんで、そんな幽霊の出そうなアパートにしか住めないはずもないのだが……。

 

「お前の親兄弟はどうしてるんだ?」

 

 どうして、そっちに身を寄せないんだ、と蓮太郎は言い出す。「まあ、親兄弟は居ていないようなものなので」

 

 そう曖昧に言うと、しんみりとした顔で蓮太郎は言い出した。

 

「そうだったのか……。

 

 蓮形寺。

 今日から、俺を家族と思っていいぞ」

 

 いや、あなた、愛人か、私の仕える王様なんですよね?

 

 だが、王様はさらに、

「お前、うちに住むか?」

 などと言ってくる。

 

「いや、なんでですかっ」

 

「お前の家族になってやると言っただろう。

 それに、下僕をそんな倒壊寸前のアパートに住まわせておくことはできない」

 

 いやあの、下僕なんで、放っておいてください……。

 

 だが、なんだかんだと揉めたので、つい、

 

「ほんとにそんなボロくないですからっ。

 その先なんで、見てみてくださいっ」

と言ってしまった。

 

「……じゃあ、見に行こうか」

と言う蓮太郎に、

 

 はっ、もしや、これは王様のワナ!?

 

 私自らが王様を家に招くようにっ?

と思ったが、意外に人のいい王様は、そういうわけでもなかったようで。

 

「じゃあ、ジュース買ってやる。

 二人で飲みながら、アパートを眺めよう」

と言い出した。 いや、私が私のアパート眺めてどうすんですか、と思いながらも、よくわからない王様にジュースを買ってもらい、

 

「なんだ、こじんまりしてるが、いいアパートじゃないか」

と言う王様と二人、星空の下、アパートの向かいの公園のベンチに座り、しばらく自分の家を眺めていた。

 

 

 

 月曜日、唯由は爽やかな気分で会社の廊下を歩いていた。

 

 日差しが心地いいだけで、なんだか陽気な気持ちになる。

 

 こんな明るい中にいると、あのコンパの夜のことが嘘のようだった。

 

 まあ、そもそも連絡先、交換してないし。

 

 王様、アパート眺めて帰っただけだったし。

 

 家は知ってるから、いきなり来たりするかもと、実はちょっと怯えて休日を過ごしたのだが、そんなこともなかった。

 

 そうは見えなかったけど、あの人、きっと、かなり酔ってたんだろうな。

 

 朝、正気になって、よく知らない人に愛人になれとか言って悪かったな、と反省したに違いない。

 

 ……いや、反省してくれ、と唯由が思ったとき、

「お疲れ様ー」

と廊下の向こうから、背の高い技術職の男性、村井が現れた。 技術系の人たちが着ているキャメルの長袖のシャツにカーゴパンツ

 

 今流行りのちょっと格好いい作業着だ。

 

 村井は、いつもニコニコと感じはいいが、呑み会のときもそんなにしゃべってくる方ではなかった。

 

「お疲れ様です」

と立ち止まり、唯由は、にこやかに挨拶する。

 

 単に、天気がよかったからだ。

 

 だが、村井は笑って訊いてくる。

 

「なにかいいことあった?」

 

「えっ?」

 

「金曜の夜、コンパやってたよね」

 

 ひっ、と唯由は固まる。

 

 あの女子メンバーは学生時代の友だちだったので、誰かがしゃべったわけではない。

 

 どうやら、見られていたようだった。 なんて狭い街なんだ……。

 

「僕らも呑みだったんだけど。

 帰り道も、君、見たよ」

 

 な、なにをですかっ、と怯える唯由に、

「誰か男の人と手をつないで帰ってたよね」

と笑顔で村井は言う。

 

 手をつないでたんじゃなくて、引っ張られてたんです~っ。

 

 だが、弁解する間もなく、

「じゃあ、お疲れ」

と村井は行ってしまった。

 

 もう駄目だ……。

 

 あんな普段しゃべってこないような人が言ってくるぐらいだ。

 

 技術系の人たちの中では、もう私はコンパで見つけた彼氏と手をつないで帰ったことになってしまったに違いない。

 

 私、お持ち帰りされてません……と青ざめながら、唯由は一階の喫茶に行く。